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2018年2月

2018年2月16日 (金)

秩父札所巡礼1番~9番

秩父三十四札所巡礼          
(徒歩巡礼)

1番 誦経山 四萬部寺 聖観世音菩薩
(2006 5月 23日~26日)

秩父の札所を徒歩で巡るにあたっての振り出しはここから始まります
観音堂は県指定文化財で1699年に造られ寺名は幻通が四萬部の
経典を収めたことに由来しています (関東三大施餓鬼)
一番から二番へは長い山道を登っていきます


     




山村の風景を見ながら出発です



2番 大棚山 真福寺 聖観世音菩薩
鬼丸観音と呼ばれていました
消失する前は7堂俄伽藍があったそうです
高篠山の中腹300mの所に建っていて
西国 坂東 秩父と合計百ケ寺となった際に加えられたお寺です


    







3番 岩本山 常泉寺(岩本寺) 聖観世音菩薩
観音堂は秩父神社の薬師堂を移築されました
寺宝となっている子持ち石は高さ30cm程ですが
形が赤ん坊そっくりなので子宝の欲しい人が全国から訪れます


     







4番 高谷山 金昌寺(新木寺) 十一面観世音菩薩
ここには1319体の石仏があり県指定文化財になっています
慈母観音像は子育て観音とも呼ばれて特に有名です

    




石仏の下絵を描いたのは喜多川歌麿だともいわれ
これは隠れキリシタンのマリア観音だと言う人もおられるそうです




5番 小川山 語歌堂(長輿寺) 准胝観世音菩薩
寺名は村の風流人であった本間孫八氏が旅僧と和歌について
一晩語り明かした堂という事に由来しています
本堂では横瀬人形芝居(ふくさ人形)が演じられ
地元の人に親しまれています

     



6番 向陽山 卜雲寺 聖観世音菩薩
ご本尊は武甲山山頂の蔵王権現社に祀られていたのを移しました
昔武甲山に棲んでいた身長3mの山姥が里人に危害を加えていたが
行基の祈祷で降参し前歯一本と奥歯二本を折って差し出したという
山姥の歯が残されています

     







7番 青苔山 法長寺 十一面観世音菩薩
観音堂は牛伏堂といいます
本堂は江戸時代に活躍した平賀源内の設計によるものとされ
秩父札所中最大のものです
上部欄間のにある朱塗りの彫刻も源内の作とされていますが
撮影は禁止です


     



8番 清泰山 西善寺 十一面観世音菩薩
西方浄土にいる阿弥陀三尊を祀ることから
「ボケ封じの寺 安楽往生の寺」とされています

     



樹齢600年の「コミネモミジ」は高さ9m枝ぶり20mで
県指定天然記念物です
紅葉の時は多くのカメラマンが来られるそうです




9番 明星山 明智寺 如意輪観世音菩薩
本堂は平成二年に建立された六角堂で
本尊は安産子育ての観音様として知られていて
玩具類の奉納も多く見られます
又目の病いにも霊験があるといわれています


     




秩父は徒歩巡礼の人も多く道しるべが
至るところにあります

秩父札所巡礼10番~18番

 

秩父三十四札所巡礼         
(徒歩巡礼)

10番 萬松山 大慈寺 聖観世音菩薩
本堂や楼門造りの仁王門は江戸後期の作です
子育て観音も人気ですが「おびんずる様」は身代わりとして
体の痛いところをさすると治るとと言われています
境内から眺め下ろすと1番から10番まで繋がっているのが解ります
?

     



11番 南石山 常楽寺 十一面観世音菩薩
観音堂は明治11年の秩父大火災で焼失後再建されました
行基作と伝えられる1mばかりの立像は病気平癒と長寿祈願
とに霊験あらたかと云われています


     







12番 仏道山 野坂寺 聖観世音菩薩
花木が沢山ある綺麗なお寺で木像が多くあります
寺の後ろの羊山公園は桜の名所で武甲山資料館や
植物園などがあります


    







13番 旗下山 慈眼寺 聖観世音菩薩
秩父の大火災で焼失後20年かけて再建されました
眼の守り本尊と伝えられていますし 
又7月8日の縁日はよく雨が降るので
「あめ薬師」ともいわれ「飴」を売る屋台で賑わいます

     



14番 長岳寺今宮坊 聖観世音菩薩
明治時代まで今宮神社と神仏習合していました
昔はこの寺で身を清めて巡礼に出たといいます


     
市内を流れる荒川です



15番 母巣山 少林寺 十一面観世音菩薩
明治維新の神仏分離で五葉山少林寺が
現在の場所に移転して札所を継承することになりました
本堂の境内に秩父事件で殉職した二人の警察官の墓があります


     



16番 無量山 西光寺 千手観世音菩薩
外観は簡素ですが堂内は釈迦如来の涅槃図や
十大弟子 多くの動物の浮き彫りが見事です
両手で文字を書かれる実演を見せて頂きました

     







17番 実正山 定林寺 十一面観世音菩薩
昔は札所の一番でその頃は発願寺にふさわしい規模だったとか
平将門の子孫壬生良門の忠臣林太郎定元の墓があることから
土地の人は林寺とも呼んでいます


     



18番 白道山 神門寺 聖観世音菩薩
昔は神社でしたが荒廃したので村人が再建しようと神楽を
奉納したところ巫女の霊感により寺を建てることになったいう
巡礼の時橋の上で杖をついてはいけないのは弘法大師様が橋の下で
夜を明かされからだとか・・・


     




ところどころで先達さんの説明があります

秩父札所巡礼19番~26番

秩父三十四札所巡礼       
(徒歩巡礼)

19番 飛淵山 龍石寺 千手観世音菩薩
この観音堂は大きな岩盤の上に建っています
昭和30年代傷みがひどくなり地元青年部が東京まで
托鉢に出て浄財を集め銅版葺きの本堂が造られました
本尊の千手観音座像は室町期のもので
弘法大師作と云われています


     







20番 法王山 岩之上堂 聖観世音菩薩
江戸時代から今に続く旧家 内田家の所有
観音扉の裏には日天 月天 風神 雷神とともに
極彩色で三十三観音の彫刻があります

     







21番 要光山 観音寺(矢之堂) 聖観世音菩薩
「火伏せの観音様」と云われています
寺の背後は長尾根丘陵が続き
武甲山の山容を眺めながら歩きます


     



22番 華台山 童子堂 聖観世音菩薩
正式には永福寺といいますが子供にまつわる伝説が多い事から
童子堂(わらべどう)という呼びかたが著名になりました

     




台座の上の地蔵尊は上の萱葺き屋根の仁王門と共に
秩父巡礼のパンフレット等にも出てくる有名な風景です




23番 松風山 音楽寺 聖観世音菩薩
音楽寺と云う現代的な名は松の梢を吹く風の音から
付けられたそうです
新人歌手や学校の吹奏楽員などが祈願に訪れます

     




尾根丘陵にあるこの寺へは狭い山道を登ると
15体のお地蔵様が並んでいます





(11月21日~24日 後半徒歩巡礼)

24番 光智山 法泉寺 聖観世音菩薩
白山観音と呼ばれています
遊女が口中の病に苦しんでいた際秩父から来た僧に
「白山観音を信じるべし」と貰った一本の楊枝を使うと
たちまち快癒したことから
病気治癒の観音様といわれています

     




秩父のシンボル武甲山



25番 岩谷山 久昌寺(御手判寺) 聖観世音菩薩
池の向かい側に久昌寺の本堂と弁天堂が向かいあっています
寺宝の御手判石は閻魔大王が爪で彫ったという蚊取り線香の
ような模様がついています

     




ここは雪景色が美しくカルラマンの人気スポットとか・・



25番から26番までの道しるべ



26番 萬松山 円融寺(岩井堂) 聖観世音菩薩
 本堂は間口8間と大きく鎌倉時代の勝軍地蔵等の
仏像があります

     




300の急な階段を登っていくと懸崖造りの
観音堂があります
江戸中期の建物で回廊つきになっていて
岩場の斜面に組み込まれています


     
舞台で一休みです

秩父札所巡礼27番~34番

秩父三十四札所巡礼         
(徒歩巡礼)

27番 龍河山 大淵寺(月影堂) 聖観世音菩薩
月影清らから丘陵にあるので月影堂とも呼ばれています
延命水があり一口飲むと33ケ月長生き出来るとか
皆で沢山飲みました(*^-^)

     




高さ16.5mの観音様はコンクリート製で
昭和11年に建立され 大船 高崎 と併せて
関東三大観音として親しまれています
左手に握っているのは剣です。



28番 石龍山 橋立堂 馬頭観世音菩薩
馬頭観音が本尊になっているのは大変珍しく
秩父 坂東 西国の百観音のうちここと
西国の松尾寺だけです
背後は武甲山で全山石灰石層で長年採掘が続いていて
セメントや肥料スレートの基材として
私達の生活に役立っています

     











29番 笹戸山 長泉院(石札堂) 聖観世音菩薩
枝垂れ桜の名所になっています
山号の笹戸山は小笹が生い茂って
戸のようになっていた岩屋から
本尊の聖観世音が発見されたと言う伝説からです

     







     
途中林檎畑があり小鳥が網に掛かってもがいているのを
私が見つけました
もたもたしてる間にお仲間の方がグイッと掴んで
もう一人の方がハサミを持っていたので
羽や足に絡まった糸を切って放してあげました
暴れる小鳥が怖くて掴めなかった私の意気地なさを
再認識したと同時に
彼女の勇気に大いに敬服したのでした。



30番 瑞龍山 法雲寺 如意輪観世音菩薩
本尊は鎌倉の建長寺道隠禅師が中国から取り寄せた
渡来仏で通称「楊貴妃観音」として知られています
玄宗皇帝が絶世の美女楊貴妃の供養にと自ら彫り上げ
密教僧不空三蔵に開眼させたものと伝えられています
年に一度4月18日の縁日に御開帳ですが
どんなに美しいが是非見てみたいですねぇ

     




秩父は丁度紅葉が見頃で色鮮やかで綺麗でした(*^-^)



31番 鷲窟山 観音院 聖観世音菩薩
秩父34霊場の中でもっとも難所に立つ寺です
観音堂は標高698mの観音山の中腹にあり急坂を登ります

     







     
岸壁には多くの仏が刻まれています
磨崖仏と呼ばれる自然の石に彫られた仏像は
関東地方では珍しいものです
奥の院への道には薄暗い岩窟にさまざまな姿の
石仏が並んでいてその数十万八千体ともいわれています



「清浄の滝」高さ60m 明治5年の修験道廃止まで
ここは行者達の水垢離の場でした






     
32番へは大日峠を越えていきます
熊も出没したそうで皆で唱歌を歌いながら歩きました
歌は静かな山に染み入るように響きとても素敵でした~(*^-^)


大日峠には二体の大日如来様が迎えてくださいました



32番 般若山 法性寺 聖観世音菩薩
舞台造りの観音堂に祀られているのが行基作の観音様ですが
船に乗り笠を冠り手に櫂を持っているので
「お船観音」と呼ばれています

     




観音堂からは散り紅葉が綺麗でした



33番へは県道を延々と歩きますが
こんな道は結構疲れるものです
先頭集団から離されて・・



33番 延命山 菊水寺 正観世音菩薩
本尊は県文化財指定の桧の一本造りで
藤原時代の秀作といわれています
本堂の欄間には子返し「間引き」を戒めて
貧しさ故に我が子を殺す悲惨な風習が
絵入りで書かれていました

     




菊水寺からいよいよ札立峠へ向かいます


     




33番から34番への札立峠越えは約9キロ・・・
息切れしました~


     
下山途中のお地蔵様に迎えられた時はほっとしました(*^-^)



34番 日沢山 水潜寺(結願) 千手観世音菩薩
水潜寺は秩父札所34番であるとともに
西国 坂東と合わせて百観音結願寺でもあります
名の起こりは岩屋の清水で巡礼を終え
身を清めて俗世に戻る事からとか・・・
峠道から水潜寺が見えた時は達成感で
胸がいっぱいになりました


峠越えから見えた水潜寺


     
参道には33観音が並んで見送ってくれました

徒歩巡礼は辛い時もありましたがそれぞれの人生を
語りあいながら助け合い譲り合って歩き
私にとっては大変意義深いものとなりました。
簡単に解説を添えましたが間違いなどありましたら
お知らせください。

追伸 この巡礼は朝 宿から前日の最後の寺へ戻って
準備運動をしてから続きを歩きましたので
飛ばす事はほとんどありませんでした。

坂東巡礼1番~9番

坂東三十三札所巡礼        

1番 大蔵山 杉本寺 十一面観世音菩薩
神奈川県鎌倉市
坂東33ケ所の打ち始めはこの鎌倉最古の名刹です
観音堂は1678年に再建されたもので県の重要文化財に指定されている

   
観音堂                        


急勾配の階段には青々とした苔が生えていた
鎌倉石で造られ長い歳月で減っているので
今は使われてなく左の登り道を利用する


2番 海雲山 岩殿寺 十一面観世音菩薩
神奈川県逗子市
頼朝が生涯守り本尊とした
寺号の岩殿寺の名は境内が岩で覆われていたからと言われている
細い道を入った奥を さらに長い階段を登り
境内は紫陽花が満開だった

   





3番 祇園山 安養院田代寺 千手観世音菩薩
 神奈川県鎌倉市
中央に観音様が安置されていて
尼僧姿の北条政子の木像も祀られている

   


4番 海光山 長谷寺 十一面観世音
神奈川県鎌倉市
鎌倉の長谷観音は何時も多くの参拝者で賑わっている
平成3年に復元された本尊は金箔で全身が覆われている

   
千体の小地蔵と四季の花々は有名




5番 飯泉山 勝福寺 十一面観世音菩薩
神奈川県小田原市
小田原城の鬼門を鎮護するお寺
又四国八十八箇所全部の石佛が並んでいる

   



二宮金次郎が18歳の時に参拝した像


6番 飯上山 長谷寺 十一面観世音菩薩
神奈川県厚木市
鎌倉時代には源頼朝の命で観音堂が造られたが
火災で落ち現在のは1443年に再建された

   





7番 金目山 光明寺 聖観世音菩薩
神奈川県平塚市
頼朝の妻政子が実朝出産の時祈願した事から
安産にご利益があるとされ寺の腹帯を受ける人が多い

   


8番 妙法山 星谷寺 聖観世音
神奈川県座間市
梵鐘は国指定の文化財になっていて
普通鐘をつくところが表と裏と二つあるがここの鐘は一つで
日本三奇鐘の一つとされている

   


 9番 都幾山 慈光寺 千手観世音菩薩
埼玉県比企郡
寺暦は673年と古く慈光が弟子に千手観音像を刻ませて
安置したといわれている

  
観音堂                        


長い登りの参道を行くと観音堂があが本堂は下の方にある

坂東巡礼10番~17番

坂東三十三札所巡礼        ホーム   巡礼へ

10番 巌殿山 正法寺 千手観世音菩薩
埼玉県東松山市
沙門逸海が岩窟に千手観音を刻んだのが始まりとも
役行者による修験の道場として開かれたともいわれている

   


11番 岩殿山 安楽寺 聖観世音菩薩
埼玉県吉見町
頼朝の異母弟の範頼は平治の乱のあと
安楽寺に稚児僧となって住み
のちに領主となり「吉見御所」と呼ばれた

   


12番 華林山 慈恩寺 千手観世音菩薩
埼玉県岩槻市
華林山の由来は慈覚大師がスモモの実を空中に投げたところ
この地に落ちて林になり華が咲き実が成った事によるとされている

   


13番 金龍寺 浅草寺 聖観世音菩薩
東京都浅草
知らぬ人はいないほど有名な関東随一の名刹
漁師の三兄弟が隅田川で漁をしていたところ網に観音様がかかり
祀ったのが寺の始まりとされている
平安時代に慈覚大師が来山し柳の木で観音像を刻み
前立本尊として安置してから参拝者が増え大いに栄えた

   
広いお堂の中で観音様と対峙して参拝出来る





14番 瑞応山 弘明寺 十一面観世音菩薩
横浜市弘明寺町(ぐみょうじ)
寺の名前がそのまま町名になっている
縁結び 夫婦和合 商売繁盛に霊験あらたかとされ
毎月八のつく縁日には門前町は特別賑わう

   





15番 白岩山 長谷寺 十一面観世音菩薩
群馬県榛名町
坂東霊場記によると行基が 
役行者が修行した跡地に生えていた柳の木で
観音像を造って与えたといわれている
群馬県には妙義山 赤城山 榛名山など山伏の
活躍した山があり伝説も多くある

   


16番 五徳山 水澤寺 十一面観世音菩薩
群馬県伊香保町
この観音様は一切の願いを融通するところから
融通観音」とも云われている
水沢山の麓にあるので何時も豊かな水が湧出している

   





17番 出流山 満願寺 十一面観世音菩薩
栃木県出流町
下野国の国司若田氏と妻は子宝に恵まれなかったので
満願寺の奥の院に祈願したところ授かったのが
勝道上人で以後子授け安産の菩薩とされている








奥の院

8月末には秋海棠が咲き乱れる



奥の院の「大悲の滝」

坂東巡礼18番~26番

坂東三十三札所巡礼        

18番 日光山 中禅寺 千手観世音菩薩
栃木県日光市
勝道上人は男体山に観音の浄土があることを信じ
数度登頂を試みましたが失敗・・
そこで男体山の麓に中禅寺を建て十五年かけて前人未踏の
山頂をきわめる事が出来た

   
  中禅寺湖  開山の勝道上人が船で中禅寺湖を巡った故事から毎年
6月18日には「観音講」として大法要と船供養が行われる


8月4日には「船禅項」といって湖畔の霊地を
船で巡拝する儀式がある


19番 天開山 大谷寺 千手観世音菩薩
栃木県宇都宮市
本堂内部の正面の岩に本尊が刻まれている
浮き彫りにした像に朱を塗りさらに金箔を押し付けてあるが
現在は落ちている
計10体の磨崖仏があり国指定の特別史跡と重要文化財の
二重指定を受けている

   



この辺りは門塀等の大谷石の産地で
近くには戦争犠牲者の霊を弔うため昭和31年大谷石で立像27mの
平和観音像が建立されている


20番 獨鈷山 西明寺 十一面観世音菩薩
栃木県益子町
行基が下野の国に来た時この地を霊地と見て
豊前国に安置してあった本尊を移した

   






益子は益子焼きでも有名で
浜田庄司が定住して益子焼きの名を広めた


21番 八溝山 日輪寺 十一面観世音菩薩
茨城県大子町
日輪寺は八溝山の主峰1022mの八合目ほどに位置し
坂東札所中もっとも山深い事から坂東一の難所とされている

   
八溝の地名には日本武尊が奥深い原生林を前にして
「この先は闇ぞ」と云ったからとか他色々な説が・・・


霧に霞む細い山道は車でも心細い感じだった
又南下すると有名な袋田の滝がある


22番 妙福山 佐竹寺 十一面観世音菩薩
茨城県常陸太田
佐竹寺は常陸地方の豪族だった佐竹氏の菩提寺だったが
関が原の合戦で反徳川方となった為秋田に国替えになってしまった
後に常陸に入った水戸光圀公の時代に坂東札所に加えられた

   
豪壮な桃山建築の様式美を備えていることで
国指定の重要文化財となっている




23番 佐白山 観世音寺 千手観世音菩薩
茨城県笠間市
本尊の観音像は毎年4月17日のご開帳でしか仰げないが
優れた仏師の技が冴え渡った寄木造りの優品といわれている
こちらの住職様は大変気さくな方でお茶をもてなしてくださった

   
此処は日本三大稲荷の一つ笠間稲荷も有名で
又笠間焼きも知られていて新進作家が活躍している


陶芸の里


24番 雨引山 楽法寺 延命観世音菩薩
茨城県真壁郡
光明皇后がみずから「法華経」一巻を書写して奉納し
無事出産を果たして以来安産の観音様として知られている
多宝塔は「法華経」共々寺宝になっている

   
桜 紫陽花 百合 紅葉とどの季節も美しい寺




25番 筑波山 大御堂 千手観世音菩薩
茨城県つくば市
筑波山は男体と女体の二つの峰を持ちそれぞれ
権現として崇拝されてきた
木像の観音像は昭和12年の山津波で埋没したが
無傷で掘り出されたことから霊力のある観音様ということで
開運や招福願う人々で賑わっている

   
筑波山は低山ながら日本百名山の一つで
ガマの油売りの口上でも知られている


筑波山麓から26番清瀧寺への田園風景は美しい


26番 南明山 清瀧寺 聖観世音菩薩
茨城県新治
昭和44年の不審火で山門だけになってしまったが
村人達が坂東札所の復元に立ち上がり
23番の天津忠興住職により寄進を受け
木彫りの素晴らしい観音像を安置する事が出来た

   

坂東巡礼27番~33番満願

坂東三十三札所巡礼         

27番 飯沼山 円福寺 十一面観世音菩薩
千葉県銚子市
銚子観音とも云われ坂東太郎こと利根川の河口にある
この観音さまは漁夫の夢の中に現れて「ひき上げよ」と事で
そのようにすると海中から現れたといわれている

   



近くにはわが国屈指の漁港と犬吠崎灯台がある


28番 滑河山 龍正院 十一面観世音菩薩
千葉県下総
仁王門は茅葺きの屋根の寄棟造りで国指定重要文化財で
小観音像は仏師定朝が造った4mの観音像の
胎内に収められている

   


29番 海上山 千葉寺 十一面観世音菩薩
千葉県千葉市
千葉寺は下総一帯の支配者千葉氏の祈願所だった
昔境内では「千葉笑い」というものがあり
大晦日には仮面で顔を隠した庶民が地主を批判して笑いあったとか・・

   





30番 平野山 高蔵寺 聖観世音菩薩
千葉県木更津
現存の本堂は消失後藤原時重が再建した
床下から観音浄土巡りができ本尊を拝観できる
右の写真は入り口

   


31番 大悲山 笠森寺 十一面観世音菩薩
千葉県長南町笠森
笠森寺は大変人気のあるお寺で
崖造りは山上の岩の上に高々と組み上げられて
四方を見晴らす事が出来る

   
高さ30m床高20mで靴を脱ぎ傾斜45度の階段を登る
日蓮上人も37日間の参拝をし 松尾芭蕉も訪れている




32番 音羽山 清水寺 千手観世音菩薩
千葉県美隅郡岬町
このお寺へは外房線の長者町駅からいく
海に近いので豊魚を祈る魚師さん達の参拝も多いとか・・

   



この駅は無人で検札もなかった


33番 補陀洛山 那古寺 千手観世音菩薩
千葉県館山市那古
坂東札所の結願の寺は房総の最南端にあり
境内からは海も望める
生憎観音堂は大改修中のため拝見出来なかったが
観音像は本堂に移され対峙して参拝する事が出来た

   
 境内                    境内より


那古船形の駅舎は素朴な木造で
那古寺はここから徒歩15分


館山の海


館山駅

この度坂東三十三観音巡礼を友人と二人
マイカーであるいは電車やバス タクシーを乗り継ぎ参拝しました

寺歴や寺伝は大変複雑で長くなりますので省略し
簡単に纏めましたが
間違いなどありましたらお知らせください

西国巡礼1番~8番

西国三十三札所巡礼         

一番 那智山 青岸渡寺 如意輪観世音菩薩
和歌山県勝浦町
西国一番の札所は450の階段を上ったところにあり
本堂は柿葺の重厚な建物 推古時代から6回建て替えられたもの
那智山は昔仏道と神道が合体し役行者の修験道の根本道場で
弘法大師や伝教大師が参籠するに至って
霊場として崇敬されるようになった





     
すぐ隣にある那智大社



那智大滝


二番 紀三井山 金剛宝寺護国院 十一面観世音菩薩
和歌山市
通称紀三井寺は枯れることのない三つの井戸が
あることからつけられ
二体の観音様と帝釈天は重文に指定されている


本堂までの坂は230段
豪商の紀の国屋文左衛門は大変親孝行で
母を背負ってお寺に参拝した
石段の途中で下駄の鼻緒が切れて困っていたら 
かよという娘が通りかかり 鼻緒をすげ替えたのが縁で結婚した
そこでこの坂を結縁坂といいわれるようになった
かよの実家の出資金によるみかん船で大儲けをしたという



     
テレビや新聞の開花宣言はこの桜から                 橋杭岩



三番 風猛山 粉河寺(こかわでら) 千手千眼観世音菩薩
和歌山県紀ノ川市
無病息災子孫長久のお箸が有名
庄屋の娘が病の時童子が現れ祈祷して重病を治してくれた
「もし用があったら粉河を訪ねよ」といってかよの箸箱を持ち去った
翌年訪ねると小堂の観音様の手に娘の箸箱があった





     
名勝粉河庭園は桜や躑躅でも有名 一万五千坪の境内



四番 槙尾山 施福寺  十一面千手千眼観世音菩薩
大阪府和泉市
昔最盛期には一山八百坊 三千余りの僧がいた





     
弘法大師が20歳の時剃髪された愛染堂
この寺へはバスを降りて少し登ると「ここより八丁」
の看板がありかなりの難所



五番 紫雲山 葛井寺(ふじいでら) 十一面千手千眼観世音菩薩
大阪府藤井市
荒廃していた寺を嘆いて藤井安基が大修理を行い
この時から藤井寺と呼ばれるようになった
日本最古の天平時代の仏像が安置されている

     



六番 壺坂山 南法華寺 千手観世音菩薩
奈良県高取町
通称壺坂寺は眼病に霊験あらたかな寺で
「壺坂霊験記」の盲目の沢市の目を治すため
妻の里がこの寺に祈願して開眼するという
お里と沢市の夫婦愛の物語もこのお寺が舞台になっている


盲老人の養護老人ホームもある


     



七番 東光山 岡寺 如意輪観世音菩薩
奈良県明日香村
正式名は「龍蓋寺」で一説によるとこの山に出没して
農民を苦しめていた悪龍を義淵僧正が池に封じ込め
大石で蓋をした事から名づけられた





     


八番 豊山 長谷寺 十一面観世音菩薩
奈良県桜井市
約400段の石段を上ると70余りの堂塔伽藍がある美しい寺で
本堂は東大寺に次ぐ大きさ


「だだ押し」という火祭りが行われる
閻魔大王の杖で押してもらえば悪魔を退散させ
無病息災を得る事が出来る


     
回廊から外舞台へ出れば眺めは絶景

西国巡礼9番~17番

西国三十三札所巡礼          

九番  興福寺 南円堂 不空羂策観世音菩薩
奈良市登大路町
興福寺は文化財の宝庫で約5千点にも上るといわれている
藤原一族の氏寺で五重塔は古都奈良に欠かせない風景





     
南円堂の観音菩薩様は獣を捕らえる網と魚を釣り上げる糸を持って
人々を救いすべての願いを叶えて下さる観音様



十番 明星山 三室戸寺 千手観世音菩薩
京都府宇治市
平安期には大いに栄えた寺だったが1460年に
火災によりすべて消失 本堂は信長の兵火等で
数度建て替えられた





     
参道のかたわらの「浮舟の古墳」
優しい薫と情熱的な匂宮の間で悩み宇治川に身を投げようとしたが
果たせず仏門に入った浮舟の話は有名



十一番 深雪山 上醍醐寺 准胝観世音菩薩
京都市伏見区
山上近くに井戸があり開山の理源大師聖宝が山に登られた時
老翁が現れて湧き水を汲んで呑み「ああ醍醐味なるかな」
といい聖宝尊師に伽藍の建立を勧めたという
五大堂

堂内には重要文化財に指定されている
木造五大明王が祀られ 盗難や災害よけの信仰があるとされている。



バスを降りて裏山までタクシーで行き
そこから急坂を登り西国札所一番の難所といわれている



十二番 岩間山 正法寺 千手観世音菩薩
大津市石山内畑町
この寺では縁日に薬湯をたてて誰でも入る事ができる
薬湯は開山の泰澄大師が夢想で得たもので
神経痛リュウマチ冷え性に効果があるという





      
小さな池は芭蕉が「古池や蛙飛び込む水の音」
と詠んだ池で句碑もたっている
晩年山つづきの国分山に居を定めて「幻住庵の記」という
作品を書いたが その頃このお寺に参籠して
この句を詠んだといわれている



十三番 石光山 石山寺 勅封ニ臂如意輪観世音菩薩
大津市石山寺
紫式部が「月のいとはなやかにさしいでたるに・・」と
本堂の一室で源氏物語の須磨の巻から書き始めた事で有名な寺


平安期には貴族達の遊覧の地となり石山信仰が盛んになった


      
名の通り石の多い寺で女性に人気があり
月見亭からは琵琶湖も一望できる



十四番 長等山 園城寺(三井寺) 如意輪観世音菩薩
大津市園城寺町
通称三井寺は絶えることのない霊泉が境内にある
ことから「みいでら」と呼ばれ又別説では
天智 天武 持統の産湯にこの霊泉が
使われたためともいわれている





     
日本の音風景百選に選ばれている鐘



十五番 新那智山 観音寺 十一面観世音菩薩
京都市東山区
庶民の信仰を集め隆盛を極めた寺
一般に今熊野観音寺呼ばれ後白河法皇の頭痛の持病が
祈願で平癒されたため頭痛中風の観音様として栄えた


弘法大師がこの地に来られたとき
「ここは観音に縁のある地だから寺を建て観音様を祀り人々を救済せよ」
といわれたので名を聞いたら
「熊野権現である」といって立ち去った


     



十六番 音羽山 清水寺 十一面千手千眼観世音菩薩
「清水の舞台から飛び降りる・・」でお馴染みの寺
音羽山から途切れることのない霊水は
わが国十大名水の筆頭にあげられ
金色の水とか延命水とかいわれている





     



十七番 補陀洛山 六波羅蜜寺 十一面観世音菩薩
京都市東山区
六波羅とは・・布施 持戒 忍辱 精進 知恵 禅定
(助け合い ルールを守り 耐え忍び はげみ 自己をみつめ
苦楽を乗り越えて実践しなければいけない
頭で分かったというのは知恵ではない
片寄らない道を幸福に向かって進め・・・)





     
平家一門の邸宅が六波羅に並び寺も栄えたが
没落に伴って寺も焼けたが仏像は庶民の協力で難を逃れ無事だった

西国巡礼18番~25番

 

西国三十三札所巡礼          

十八番 紫雲山 頂法寺(池坊) 如意輪観世音菩薩
京都市中京区
池坊専永家元が第45代住職としての任務も全うされている


遣隋使としての使命を果たして帰朝した小野妹子は
名を専務と改め坊を建て宝前に花を供え
代々それが受け継がれて やがてはわが国の華道として
池坊が確立した。


     
六角堂は京の町の へそ といわれる中心地にあり
北側には豪壮な生け花の殿堂「池坊」がある



十九番 霊ゆう山 行願寺 千手観世音菩薩
京都市中京区
行円上人は激しい気性の方で狩猟を楽しみ一頭の牝鹿を射止めたが
みごもっていて痛みに耐えられず山を転げ落ち
陣痛の苦しみの中渾身の力を振り絞って子を産み
悲しい鳴き声を残しながら息絶えた
これを見た行円は身ぶるいを覚え
心から母鹿にわびる心で仏門に入りこの寺を開いた





     
宝物庫に幽霊の絵馬がある
質屋に子守として雇われたおふみは毎日寺に来て
子供を遊ばせているうちに子供はご詠歌を覚えてしまった
主人に怒られたおふみは納屋に閉じ込められ凍死してしまった
両親が探すと亡霊が現れ殺されたことを告げた
両親は供養のために亡霊姿の娘の絵に鏡をはめて奉納した



二十番 西山 善峯寺 千手観世音菩薩
京都市西京区
応仁の乱で灰塵になったが
その後秀吉や徳川五代将軍綱吉や生母桂昌院に
帰依され再建した





     
樹齢600年の遊龍の松は地を這うように両方に伸び
長さ52メートルある
寺は京を眼下に見下ろす別天地にある



二十一番 菩提山 穴太寺 聖観世音菩薩
京都府亀岡市
明智光秀の居城亀岡城のあったところで
釈迦涅槃像は有名で
皆になぜられて黒光りしていた


この寺には安寿姫が厨子王丸に
渡したとされる5センチ足らずの肌守り観音像がある
安寿姫は入水して死ぬが厨子王は盲目の母に
巡りあい孝養を尽くし善政を敷く話は有名である


     



二十二番 補陀洛山 総持寺 千手十一面観世音菩薩
大阪府茨木市
開山の政朝の父高房は漁師につかまって殺されようとしている亀を見た
「今日は縁日だ私にその亀を売ってくれないか」と
買って水中にはなしてやった
その後高房の児を誤って水中に落としてしまったが
不思議にも若君は大亀の背に乗って生還したという





     
境内の池には亀がいっぱいいた



二十三番 応頂山 勝尾寺 十一面千手観世音菩薩
大阪府箕面市
源頼朝 梶原景時 熊谷直実ら信仰し栄えた
その後学徳兼備で名高い法然上人を受け入れ
仏道の興隆や庶民の教化につとめた





     
だるまで有名な寺でいたるところにだるまが並んでいる



二十四番 紫雲山 中山寺 十一面観世音菩薩
兵庫県宝塚市
安産祈願のお寺で国内だけでなく
海外からの祈願者も増えている


明治天皇の生母中山一位局が腹帯を受けられ
明治天皇を出産された


     
エスカレーターがある



二十五番 御嵩山 清水寺 十一面千手観世音菩薩
兵庫県加東郡
標高500メートルの御嶽山は五つの峰からなつている
清水が湧き出た事から付けられた清水寺





     
井戸は枯れることがなく「おかげ井戸」と呼ばれて
のぞいて顔が映ると三年長生きが出来るという

西国巡礼26番~33番満願

西国三十三札所巡礼          

二十六番 法華山 一乗寺 聖観世音菩薩
兵庫県加西市
本堂の天井や柱は江戸時代の納め札(木札)が
一面に打ち付けられた跡がある


平安時代の国宝三重の塔


     



二十七番 書寫山 圓教寺 六臂如意輪観世音菩薩
兵庫県姫路市
西の比叡山ともいわれロープウェイを利用していくと
石垣の上に壮大な舞台造りの摩尼殿がある





     
弁慶が鬼若丸と呼ばれていた7歳から10年間修行したのも
この寺で勉強机や弁慶の鏡井戸学問所がある
寺の境内からは遠く姫路城を望むことが出来る



二十八番 成相山 成相寺(橋立観音) 聖観世音菩薩
京都市宮津市
一人の僧が修行中雪が積もって食べ物を運べなくなり
餓死寸前になった
ふと見ると狼に傷つけられた鹿が倒れていた
餓えには勝てず鹿の肉を食べてしまった
罪を観音様にお詫びをしていたところ
食べた肉は実は桧の刻んだものだった
そして観音様を見ると肩先が削り取られていた
又必死に祈ると傷が元通りに「成り合った」ことから
なりあい観音」と呼ばれるようになった


美人の観音様として有名


     
つかずの鐘・・住職が鐘を新造したが二度までも音が出ない
造り直しているときたまたま見物に来ていた母親が
赤ん坊を銅湯の中へ落としてしまった
助けることも出来ず鐘は出来上がったが 赤ん坊の悲鳴が
混ざって聞こえるので余りの哀れさに
この鐘はつかなくなった
境内横の丘からは天の橋立が見える



二十九番 青葉山 松尾寺 馬頭観世音菩薩
京都府舞鶴市
西国観音札所中「馬頭観音」はここだけ
開山の中国僧威光上人が諸国を行脚している時
若狭富士とも呼ばれる青葉山の美しい双峰をみて
祖国の馬耳山を思い
二つの峰が馬の耳のように見えるここを霊地と決めた





   



三十番 巌金山 宝厳寺 千手千眼観世音菩薩
滋賀県東浅井郡
琵琶湖哀歌 「遠くかすむは彦根城 波に暮れ行く竹生島 
三井の晩鐘音絶えて なみすすりなく浜千鳥」と歌われている
行基菩薩が聖武天皇の願いで島を開き
弁財天と観音様を安置された





     
竹生島へは今津港から船で約20分


かわらを投げてこの鳥居をくぐらせると
望みが叶うといわれている



三十一番 いきや山 長命寺 千手十一面観世音菩薩
滋賀県近江八幡市
タクシーに乗り換え上ると急な石段があり
聖徳太子自作といわれる本尊がある

 



     
境内からは琵琶湖が眺められる



三十二番 きぬがさ山 観音正寺 千手千眼観世音菩薩
滋賀県安土町
聖徳太子が近江の国を遍歴した時 湖の中から人魚が現れ
「殺生をし仏法を信じなかったためこのような
姿になりました 何とかお助け下さい」と哀願するので
太子が建てたのがこの寺





     



三十三番 谷汲山 華厳寺 十一面観世音菩薩
岐阜県揖斐郡
西国札所巡りもここ谷汲山で満願打ち止めなる
寺伝によると奥州会津の大口大領という人が
京都で作らせた観音様を持ち帰る途中
谷汲でその像が動かなくなったため
この地を結縁の地として豊然上人と共に寺をたて
この観音様をお祀りした





     
「今までは 親とたのみし おいづるを ぬぎておさむる 美濃の谷汲」
巡礼で使ったおいづるや金剛杖千羽鶴がいっぱい収められている



満願堂
満願堂で最後の読経の時は皆 涙だった



番外
豊山 法起院
 徳道上人
札所ではないが西国の番外に入っているのは
本尊の徳道上人が西国観音霊場の創始者だからである
「極楽は よそにはあらじ 我が心 同じはちすの へだてやはある」
(幸せは遠いところにあるのではなく自分の心の中にある
あの世の蓮もこの世の蓮も違いはないから幸せな世の中にしましょう)
とご詠歌で謡われています




番外
華頂山 元慶寺 薬師如来
京都市山科区
花山法皇を偲ぶ寺
花山法皇は藤原氏の権力争いに巻き込まれ
策略によって出家させられたが
耐えて修行し性空上人を書写山に訪ね熊野に籠り
西国観音霊場復興の大業を成し遂げられた




東光山 花山院菩提寺 薬師瑠璃光如来
兵庫県三田市
花山法皇が御年41歳で崩御された地
追われた法皇を慕って女房女官達が来たが
山上は女人禁制で上れない
切ない思いを琴に託し揃って弾いたところが
「琴引き坂」として残っている
女人はみんな尼になって麓に小庵を結んで住み
哀しい生涯を終えたといわれている
今も尼寺村と呼ばれ「十二尼の墓」がある






花山法皇の御廟所

百観音札所満願お礼参り 善光寺

100観音札所満願お礼参り 善光寺 (2008 1月)

善光寺は西暦642に創建
宗派はなく無事に100観音満願出来た時には
お礼参りする事になっています

牛にひかれて善光寺参り・・・

昔信心の無い強欲な老婆が
川で布をさらしていたところ 何処からか一頭の牛が現れ
角に布を引っ掛けて走りだした。
布を取り戻そうと追い掛け 気がついてみるとそこは善光寺
牛の姿はなく布は如来の前にあった。
牛は如来の化身であることに気づいた老婆は
自分の不信心を悔い如来に手を合わせ
以後度々参拝に訪れたとのこと。


   
お上人様の大本願                      本堂
お上人様より満願お祝いのお言葉を頂戴しました



北向観音
南を向く善光寺の阿弥陀様に相対して
北を向く観音様を御祀りしていあり
合わせて参拝すればご利益も倍増するといわれています









拙い解説と写真をご覧頂きまして有難うございました。
「合掌」

増上寺の節分 芸能人

増上寺の節分追儺式       

(2007 2月3日) 画像16枚
徳川家の菩提寺 増上寺で豆まきが行われました

中村玉緒さん


ジュディオングさん


朝丘雪路さんとジュディオングさん





栃東関








お練り行列

  



餅つき


鬼退治


増上寺

   
三解脱門(三門)                       表門(大門)
三門は三つの煩悩・・むさぼり いかり おろかさ を解脱する門 

2018年2月15日 (木)

津市の友人宅へ

                     津市の祭りと青山高原           
(2008年 10月12日)

岐阜の実家の法要のあと 津市の友人を訪ねました。
折りしも津市は 藤堂高虎公入府400年記念行事として
盛大にお祭りが行われていて暫しお祭りを楽しみました。

武者行列




安めぐみさんも参加




  


津城址公園




  


市内の道路や会場ではよさこいが行われていました。



北海道函館からの参加も・・
  






津クイーン
 


お祭り見物後は猪の倉温泉に宿泊
夜遅くまでお喋りしました。



お肌がつるつるの濃い~とても良い温泉でした。
翌日は雲はありましたが爽やかなお天気でした。



温泉の近くにある青山高原
日本一を誇る風力発電があります。



爽やかな風の中大変気持ちの良い高原でした。
  

伊豆熱川温泉

 伊豆 熱川          

(2007年 2月)
下田 熱川 稲取


下田の爪木崎灯台


  
爪木崎は水仙の群生地
まだ咲いていて良かった~




爪木崎



アロエとメジロ



爪木崎の浜は遠浅で綺麗でした


  
♀           イソヒヨドリ          ♂
オスに比べてメスの何と地味なこと・・




熱川温泉 大和館9階の部屋より
6時過ぎ夜が明け始めました




光の中をあっという間に漁船が・・
お喋りしていてシャッター遅れました




浜も金色に・・
約一時間の光のショーでした




熱川海岸
サーフィンの若者達寒くないんですかね




熱川海岸
若者のスナップ風景 元気ですね~




下田の志太ケ浦展望台より遊歩道



二日目の朝は曇っていて8時過ぎにやっと太陽がでました


  
稲取 雛のつるし飾り



つるし飾りの風習は江戸時代の後期からで
子や孫の健やかな成長を願って和裁細工として
現在まで受け継がれてきました。

高野山参拝

高野山         

(2006 4月)
標高900mの山上の仏都高野山は真言宗の
宗祖として知られる空海(弘法大師)が約1200年前に建立した霊場です
山上には壇上伽藍や120余りの寺院が立ち並んでいます



真言宗総本山金剛峰寺

   
金剛峰寺の本堂                金剛三味院
金剛三味院は800年程前北条政子が頼朝の菩提寺として創建しました



奥の院 空海の廟所で納骨堂灯篭堂等があります

   
奥の院の参道 約2キロの参道には杉や桧が鬱蒼と茂り
苔むした石塔が無数に並んでいます



奥の院

   
奥の院 膨大な数の墓や石塔
高野山にいると些細な事に拘って生きるのが馬鹿らしくなります
何か目に見えない大きな力によって生かされているような・・・
人間って何だろう 生きるって何だろう・・・と


根本大搭
根本大塔のある壇上伽藍は総本山奥の院と並び
高野山三大聖地の一つで夜もライトアップされています


   
金堂                 西搭


宝城院
この寺院で泊まりました
朝は6時20分より本堂でお経様があげられ順次
お焼香をします


   
宿坊室内                 朝食
夕朝食共に精進料理です



高野山大学
高野山には幼稚園から大学まであります

この旅行がきっけとなり巡礼を始めるようになりました

雪の東北旅行

雪の東北旅行         
(2006 1月)

雪を見たくて東北旅行をしましたが雪が多すぎました
何もかもすっぽり覆われて何時もの年の3割増しとか・・

でもお天気に恵まれ良い旅でしたが
吹雪も一寸だけ体験したかったかな??



乳頭温泉郷


   
孫六温泉への道中は背丈以上の雪で怖かったです



田沢湖も雪で湖畔には近づけませんでした


   
ホテルの窓から・・夜明けとツララ
ツララは窓下の雪と繋がってしまいました




十和田湖の夜明けは白鳥の声だけが聞こえてきます



十和田湖の夜明け


   
奥入瀬渓流の両岸は雪で近づけずこの「石ケ戸」だけです



女盗賊鬼神のお松が住んでいた岩
旅人が通るとかどわかして金品を奪って48人の男を殺した
という伝説が残っています 大変美人だったとか・・・




角館 桜の名所の角館も雪の投げ場に困って桜めがけて・・?


   
石黒家12代目御当主 お迎えの黒塗りの自動車で出勤されるところ
お願い上着のボタンをかけてカメラに応じてくださいました(*^ー゚)
石黒家の屋内には二つの蔵がありお宝?が・・




最上川より あの家ではおじいちゃまがお一人で
自給自足に近い生活をされているとか・・



国宝羽黒山の五重の塔へは急坂を下りなければなりません
階段は雪で埋まり滑って転ぶ人もいて・・

鬱蒼とした杉の大木と雪に覆われた五重の塔はとても荘厳で
今回の旅行では一番印象に残りました

福江島 生月島 隠れキリシタン

 

平戸島 生月島    

(2005 11月)
平戸島
長崎県北西にあり鎖国前は貿易が盛んでした


聖フランシスコザビエル記念教会
殉教者の骨が収められています
高台にあり何処からでも眺められます


   
ザビエル像            教会と寺が一度に見られるところ


平戸港と平戸城(松浦)まつら氏の居城でした

   
オランダ埠頭と六角井戸

生月島
カクレキリシタンと捕鯨の島


殉教地 ガスパル様
生月島は禁教後殉教の島となりました


   
捕鯨の館                 中江ノ島
捕鯨の館には詳しく当時の捕鯨の様子が展示されています
又一室には生月の潜伏キリシタンの様子が展示されていています
弾圧後も密かに納戸で信仰を続け明治になり
禁制は解除された後もカソリックに戻らず
仏教調のオラショを唱え独特の形態を保って
いる現在のカクレキリシタンは
宗教研究者の注目を集めています
中江ノ島は多くのキリシタンが殉教したところです




塩俵の断崖

   
台風に備え屋根を寄せ合っています
風力発電もあり 渡り鳥の中継地でもあります



大バエ灯台は生月島の北端にあり展望台になっています

五島列島 福江島

五島列島 (福江島)    

(2005 11月)
福江島は五島列島の中でも一番大きい島です
キリシタンの史跡や教会も数多くあます
島には産業も少なく若い人は仕事を求めて島を出て行き
お年寄りばかで淋しいと皆さん嘆いておられましたが
大変美しい情緒ある島でした



堂崎天主堂
明治41年にペルー神父によって五島で一番最初に
建てられたゴシック様式の天主堂は
長崎県の有形文化財に指定されています
堂内には270年にも及んだ隠れキリシタンの歴史や
資料が展示されています


   
マルマン神父とペルー神父の像と 
庭園には殉教したヨハネ五島の像などがあり
キリスト教徒迫害の歴史を見る事ができます



高浜海岸
日本一美しい渚と云われています



高浜海岸
日本で一番遅い夕日が見られるところでもあります


   
 水の浦教会
白亜の水の浦教会は小高い丘の上にあり現在使われています
教会の奥の建物はシスター方のお住まいです



魚津ケ崎
遺唐使船が風待ちしたところで
ここから中国大陸へ渡りましたが
遭難などで帰れなかった人も多かったとか・・


   
石田城               武家屋敷通り
石田城は三方が海に面している日本でただ一つの海城ですが
城はなく資料館や五島高校があります
武家屋敷通りは溶岩で作った塀の上に
丸い石を積み上げた独特の塀です



鐙瀬溶岩海岸
鬼岳の噴火で黒い溶岩海岸が7キロほど続いています


   
鬼岳(おんだけ)                黒島
福江島のシンボル的存在の鬼岳は今は死火山です
キリシタンが隠れ住んだと言われる黒島 黄島 赤島へは
海底ケーブルが通っていて一番若い人は75歳とか・・

大変印象に残った福江島でした

秋の裏磐梯

秋の裏磐梯                     

(2005 10月末) 画像10枚
裏磐梯の紅葉狩りに二泊で行きましたが
丁度見頃でとても綺麗でした
初日は雨でしたが二日目と三日目は晴れて
磐梯高原の秋を満喫しました

磐梯高原

五色沼

五色沼

五色沼


曾原湖

曾原湖

曾原湖

秋元湖

磐梯高原の夜明け ホテルの屋上より

磐梯山の夜明け ホテルの屋上より

那須大丸温泉 川の湯

大丸温泉 川の湯      
(2005 7月)
那須温泉郷の奥地標高1330メートルのところにある
大丸温泉旅館川の湯は裏山から流れる源泉が
そのまま大露天風呂になっています
この温泉は那須御用邸にも引湯されており古くからの温泉です



川の湯は霧に包まれていました


川がそのまま露天風呂でとても広いです
混浴なのでバスタオルで入っても良く勿論私も入りました


   
湯が流れる左の階段を登ると男性専用の露天風呂
底は川の自然のままの石です


誰もいない夜の露天風呂にもゆっくり入りました

   
石楠花の湯                山百合の湯
この二つは女性専用の露天風呂で山百合の湯が一番上流にあり
とても開放的で気分爽快です

寝台特急北斗星で北海道へ

 

雪の北海道        
(2005年 1月)

札幌に引越した友人に会う為と思いきっり雪景色が見たいとの思いから
念願だった寝台特急北斗星を往復利用して出掛けました。



  
宇都宮を夜8時30分頃乗車 B寝台の個室で
眠ったような眠らなかったような一夜が明けたら
青函トンネルも過ぎ北海道でした。



窓外は一面の雪景色

   
友人とは10年振り 駅で人目を気にしつつ涙の再会をし
彼女のお家へ行きました。


札幌の時計台

   
大通り公園のテレビ塔と旧庁舎


大変賑やかな札幌の夜


小樽



お馴染みの小樽運河小雪が舞っていました

   
倉庫は個性的なお店がいっぱいです。


観光人力車も暇そうでした。


富良野



車窓から

   
富良野
雪景色は最高に美しかった


北の国からの舞台にった富良野麓郷の森
今まで見た中で一番大きなツララ


   
富良野麓郷の森
「北の国から」の丸太小屋も人もなく静でした


富良野


旭川


旭川の夜の街

   
旭川
街中がイルミネーションで飾られ明るい良い街でした

函館



函館の五稜郭 
函館戦争の舞台となった五稜郭は星の形をしています


   
函館戦争で使われた砲筒            赤レンガ倉庫


函館山からの夜景は矢張り素晴らしかった

   
二十間坂              函館駅前
夜9時過ぎ北斗星に乗って帰る頃は吹雪いてきました

奥鬼怒温泉郷 八丁の湯

秘湯 八丁の湯      ホーム   旅行のページ

(2004 6月)
八丁の湯は栃木県川俣温泉の奥 昔は登山者しか
利用しなかったランプの宿でした
バスも入れない奥なので歩いて登るか
宿泊者は宿のワゴン車が迎えに来てくれます
この辺りは奥鬼怒温泉郷といって
八丁の湯 加仁湯 日光沢温泉 手白澤温泉があります


八丁の湯
私達は送迎車でデコボコ道を行きました
一軒宿の温泉はログハウスで周りは森と渓流だけです



   
八丁の湯の前の渓流



以前来た時 体力不足で見られなかった「ヒナタオソロシノタキ」を
見たくて膝の悪い友人に見送られ一人登って行きました



   
加仁湯                          日光沢温泉
加仁湯の前を通り 日光沢温泉の軒下をくぐり
渓流沿いに息を整えながら登っていきました




おさおとばし
橋を過ぎジグザグに急坂を登っていきましたが
次第に霧が深くなり前も後ろも誰もいません

熊だって出るかも知れないし心細くなってきました(´;д;`)
遭難してニュースにでもなったらみっともないし・・
後200メートルほどでしたが 勇気を出して引き返しました
 そんな訳で残念ながら今回もオソロシノタキは見られませんでした(・_・、)
分岐点を右に行くと鬼怒沼湿原(標高2039m)があり
其の先には鬼怒沼山(標高2141m)があります
いつかは行きたいと思っていますが・・?


  
ログハウスは快適で今は電気もあるしテレビだってみられます



左の高い柵の所は混浴の露天風呂
前を流れる滝を見ながら入れますが
大変オープンなので何処からでも見えてしまうのが気になり
又 何時も男性が入っていて遂に入れませんでした



   
4つの露天風呂はどれもオープンですが
右の女性用だけは囲ってあり
滝を見ながらのんびり入れます
勿論内風呂もあります
栃木県内では私の一番好きな温泉ですが
登山と温泉一度いかがですか?

京都 吉野山の桜

春の京都 吉野山        
(2005 4月)

桜の満開を確認してから二泊で出掛けました
京都も吉野山も桜の時期は始めてでしたがとても綺麗でした



お馴染みの清水寺も満開でした


祇園小路

   
先斗町


丸山公園で見かけた舞妓さん 雨コートに蛇の目傘で・・

  
八坂神社  祇園小路


京都御所の桜は噂に違わず見事でした

   
京都御所のさくらさくら


京都御所の枝垂れ桜


堀川 御所から二条城へ行く途中にあります

   
二条城も満開の桜で賑わっていました

吉野山
金峰山寺を開く時役行者が蔵王権現を桜の木に
刻んで守り本尊にした事から桜は神木とされています



 金峰山寺 蔵王堂
奈良時代に役行者が開いた修験道の中心寺院


   
女行者                    南朝妙法殿


約200種 3万本の桜があると云われています

   
義経と静が逃れた吉水神社               黒門


中千本の丘より 下千本から奥千本まで約一ヶ月かけて
順に咲き上っていきます


   
桜は山桜が多いようです


中千本の丘より歩いて駅まで戻り急な事とて
吉野ではホテルがとれず橿原神宮の近くで泊まりました

弘前公園の桜

弘前公園の桜         

(2004 4月)
一度見たかった弘前公園の桜
現地へ電話したら「明日が満開ですお天気も明日は晴れます」
との事で急遽旅行社へ行き 手配して翌日行きました。
弘前は不便で新幹線を乗り継ぎ此処からでも結構遠く
ホテルも弘前ではとれず青森市で泊まる事になりましたが
満開に咲き誇る桜はとても素晴らしいものでした。

 


樹齢120年の日本最古のソメイヨシノ

   
弘前城天守                         
津軽氏の居城として廃藩に至るまでの260年間津軽藩政の中心地でした。


弘前城天守

      
西濠の両岸は桜のトンネルです。





天守前から見た岩木山は鉛色に輝きいていました。
津軽藩の方々は何時もこの山を見て居られたのですね。

   
明治末期から市民による桜の寄贈が盛んになり
今では2600本余りのさくらで埋め尽くされています。


本丸前に咲く弘前枝垂れ

   
水濠 西濠の両岸にはアーチ状に300本の桜が植えられています。


水濠には八つの橋が架けられています。

   
岩木山                         城門
五つの城門と三つの隅櫓は重要文化財に指定されています。


明治28年に弘前公園として開放され
昭和27年史跡に指定されました。


翌日の青森市は雨でした。

   
青森市街を散策し津軽三味線を聞き今回の花見旅
は終わりました。

北陸旅行

 北陸旅行         ホーム   旅行のページ

(2003 11月)
デジカメを持って初めての旅行でしたが
途中で電池が切れて全部写せませんでした
ホームページを作る事など想像もしていませんでしたが
この旅行がきっかけでデジカメの面白さに嵌まりました。
20歳頃に一度行って以来です。



お馴染みの兼六園は雪吊りが綺麗でした


   
昔と変わらない兼六園



飛騨の白川郷


   
白川郷は初めてです 又ゆっくり行って見たい・・



永平寺


   
永平寺は以前より見物人が多く売店まで出来ていました


   
和倉温泉加賀屋ホテルのショーです。
なかなか良いホテルでした。



お馴染みの東尋坊は岩場の近くまで売店が出来ていました
すべては無常ということでしょうか

俳句

6月7月の句   
辻曲がり 掛け声ばかり 鉾の山   (祇園祭りにて) ひねもすを フリータイムで 遠郭公
ちまき売る 児のいて祇園 宵祭り   (祇園祭りにて) 過去の彩 未来の彩や 七変化 
鬱きたと 思うや躁きて 合歓の花 頬なぶる 千の風かも 麦の秋 
万緑や 夫の記せし 手書き地図 青春の オードトワレは 白い薔薇
春 桜 (俳句では桜のことを花と云う)
花満ちて 大渋滞の 中にいる     (身延山にて)  山桜 女行者に 追いこさる     (吉野山にて)
花の寺 独り参加の ツアーにいる   (身延山にて) 花疲れ 乗り継ぐ電車 空きのなし
花の寺 夫を支える 妻のいて     (身延山にて) 麓から 上からも見て 花一山     (身延山にて)
春時雨 甲斐の水晶 見てる間に   (身延山にて) 参詣の 甲斐路は富士と 花吹雪   (身延山にて)
学僧の 草履花山 駆け上る     (身延産にて)  枷(たが)外れ 暫し花見に 明け暮れん
散り急ぐ 花に手立ての 無かりけり    着古しも 捨てられぬまま 衣替え
爛漫の 桜見た夜の 浅眠り 故郷の 訛りとび交う 花の宿
椿落つ 褪せてからでも 良かろうに 賑わえる 中に独りの 花見かな   
良い人を 演じたつもり 花の宴 男等の 尼寺跡や 花の宴
春彼岸 説教前の 釈迦のうた 生死問う 映画の余韻 春寒し   
古雛も 一役担う 町興し (真壁にて) 観梅や 古刹の鯉の 太りをり
春彼岸 墓守と食う 酒饅頭 (朝日新聞栃木俳壇入選) 夫の忌や 弥生初めの 風強し
待つ人の 無き家に急ぐ 春夕焼け    春昼や 文字定まらず うたた寝す
冬 寒 
初雪の 外れてランチ タイムかな 作務衣着る 女と連れ合ひ 寒牡丹
思い発つ 独り遠出の 冬の滝 御老公の 閑居西山 冬温し (茨城県 西山荘にて)
寒風を 避けし小卓や 占い師 寒の旅 母の形見の 腕時計
風花や 尼の声澄む 大御堂    (善光寺にて)  神官の 声門外に 初時雨
再会は 涙が先に 寒椿  
初春 (お正月)
ようやくに 住み慣れし街 初日かな 古家ごと 狭庭初日に 包まるる
大望の なくて平穏 初詣 病む友に 吾の為すこと 初詣     
良縁の 有りとおみくじ 初詣 初富士の 彼方に吾の ルーツあり  
年の瀬の句
歌合戦 見て幾年の 晦日蕎麦 飾りつけ 終えし忌明けの 年忘れ   
頑張りも 効かぬ齢の 年用意 何時の間に 息子頼みの 年用意    
介護車の 来ている孤宅 実南天     正月の 予定記して 新手帳
秋の句
夕紅葉 それほどまでに 燃えずとも     明時の 墓に紺菊 月初め        
懸崖に つくる菊師の まろき背ナ 下野の 防人(さきもり)街道 菊日和   
渋滞を 避けたつもりが 照紅葉 新米の つかみ取りして 農業祭
朝霧の 深きに独り たのしめり マイペースの 児がいて園の 運動会
落つる陽を 見てお月見と なる散歩 出来秋の 生産名入り 直売所
腑の機嫌 損ねて秋の 野菜粥 ティータイム 切れぎれに鳴く 昼の虫
爽やけしや ようこそ君は 孫として     彼の人の 住む街通過 銀杏紅葉
好きな人 嫌いな人いて 曼珠沙華 秋高し 初めて記す 遺言書
夏の句
幼子の 持つ危うさや 盆提灯       ビール飲む 息子相手に 憂いごとを
寝つかれぬ 暑き夜半に 聞く落語    歌手が 来て向日葵祭り 過疎の村
つづら折り 息切れあたり 滝しぶき 迎えたる 園車や孫の 大昼寝
山里の ダンプ街道 合歓の花  (出流山へ) 病後の 素顔隠して 夏帽子    
稜線の 先は故郷 大夕焼け 浜露台 偕老と食ふ 白子丼
止める人 無くて遠出の 雷雨かな 見覚えの ある四丁目 薄暑かな   (銀座にて)
梅雨晴れて 使い切りたる 二日間 癒される 話題が欲しい 梅雨寒し
寺隣り 鉢に育てし 蚊帳釣り草 十薬に 狭庭取られて しまいそう
荷も増えて だらだら坂の 街薄暑  (赤坂にて)  善き友や 今が幸せ 薔薇を描く
里帰り 母は鷺草 縁に置き           
初夏の句
本堂に 監視カメラや 風五月  (朝日新聞栃木俳壇入選) 湿原の 目覚めてやしお 躑躅かな
若葉風 書展の文字の 跳ねてをり 釣り船の 朽ちたる岸辺 行々子 (渡良瀬遊水地にて)
肩凝りの 三日続きや 牡丹咲く 全開の 愛車の窓や 行々子   (渡良瀬遊水地にて)
一雨を 受けてうな垂る 牡丹かな 鯉を釣る 人は寡黙や 行々子  (渡良瀬遊水地にて)
春の句
裸婦像の 前で待ち合う 春の雨 廃村の 遺跡一巡 春日傘     
齢(よわい)より 氣の若かりて 春の服 派手かしら 迷い心や 春衣買う
消したくも 消せぬ一言 落椿       花街の 内は見せじや 春すだれ  (京都にて)
春愁や 娘(こ)に諭される 身となりし 小路出で 小路へ舞妓の 朧かな  (京都にて)
春霞 我が身いたわる 日と決めし 無計画と いう贅ありて 春日陰
秩父札所徒歩巡礼の句
巡礼の 読経は森に 著我の花 莪の花 眼下に御座す 結願寺
熊避けの 唱歌は森に 著莪の花 莪の花 これより二キロ 峠越え   
古板の 巡礼マップ 著莪の花 参詣の 七つ道具や 莪の花     

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